東日本大震災10年の軌跡
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街のにぎわいを取り戻すことで灯された希望の光2011年3月11日、東日本大震災の発生により、電気、ガス、水道といったライフラインがストップし、鉄道や道路、空港といった交通インフラも機能不全に陥った。物流機能は大打撃を受け、マグニチュード9.0という、かつて経験したことのない大地震の前に、さすがの東北一を誇る仙台市中心部商店街も、なすすべなくシャッター通りと化してしまった。文字通り、街は暗い暗い雰囲気に包まれた。地域全体が出口の見えない長いトンネルに突入し、希望を見いだせない状態になってしまっていた。この事態に危機感を募らせた仙台市は、すぐさま状況の立て直しに着手する。仙台商工会議所に対しては、「まずいち早く、市内商店街の再開を働きかけ、市民の不安を払拭させてほしい」という要請があった。当時、何よりもまず大事だったのは、人々の心に、復興に向けた希望の光を灯ともすことであった。要請を受け、既に鎌田会頭を本部長とする対策本部を設置していた仙台商工会議所では直ちに対応を協議。会頭および専務理事による陣頭指揮の下、発災3日後の3月14日から、市内商店街の関係者に向けて、それぞれの地区における個店の開店を呼び掛け始めた。当然ながら物流は回復していない。売るものも乏しい状態では、店を開けるのに後ろ向きの意見も多かった。しかし、商店街は地域の貴重なコミュニティーである。「売るものは無いかもしれないが、人が集まれば情報が集まる。非常事態の今、情報を必要としている市民がたくさんいる」と説明した。店が開き、人が集まることこそ、街が正常な状態を取り戻す第一歩であることを訴えたのだ。これにより、街は徐々に動き始めた。「店が開いている」。待っていましたとばかりに、街には人々が集まり出した。震災直後、自分たちも苦しい中ではあったが、これこそまさに、仙台商人の心意気、商店街の底力である。その後、仙台商工会議所では、中心部の9商店街と連携し、信頼できる店舗の営業情報を分かりやすく発信するオフィシャルサイト「中心部商店街お買い物情報」を3月23日に開設した。また、4月27日からはGoogleによる「ビジネスファインダー」の企画に協力して、企業の営業状況をタイムリーに発信し、全世界に向けて被災地が立ち直り始めていることを伝える取り組みも行った。そうして、さらに情報やモノを求める人々が集い出すと、さらなるにぎわいが生まれ始めた。街に人が戻ってくることで、少しずつ、市民に安心感が広がっていった。ここから、仙台は復興に向けて歩み始めたのである。記憶と経験を次代に継ぐ第1章復興への第一歩~商店街の再開と経済の再生~商店街への個店開店要請1中心部9商店街と連携して発信した営業状況の情報はオフィシャルサイトのほか街中にも掲示。こうした情報を求めに街には多くの人が集まるようになっていった。25

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